立ち入り禁止の看板の脇をすり抜けること。軋む廊下を踏みしめて薄暗いほうへと進んでいくこと。かつてそこにいた人たちの記憶をたどること。

 廃墟はそこを訪れるものに強い郷愁を思い起こさせます。いや、思い起こさせるだろうと想像します。なぜなら私は廃墟に行ったことがないからです。
 使われなくなってから、管理されることもなく打ち棄てられた建物や施設を廃墟と呼びます。人の手を離れているように見えるからと言って、廃墟に勝手に立ち入ってもいいというわけではありません。廃墟のほとんどは私有地のため、許可なく上がりこんだ場合は不法侵入となってしまいます。
 サブカルチャーが隆盛した90年代以降、廃墟マニアと呼ばれる人々が廃墟を訪れ、ネットに廃墟の写真が載るようになり、さまざまな関連本も出版されました。一般人のHPやブログをきっかけに廃墟の写真に魅せられるようになった私は、いつか廃墟を訪れることを夢見ていました。それはもう真剣に。高校の昼休みには、友達とネット上の廃墟写真を見ながら暗い笑いを浮かべていました。それが法の下では叶わない夢だったと知ったときの衝撃たるや。ハタチになったらそっちに行こうと約束したのに!

 そんなわけで現実にはまず訪れることのできない廃墟ですが、例外もあります。長崎県にある端島(はしま)、通称「軍艦島」。海底炭鉱によって栄えたこの島には、多くの労働者が暮らしていましたが、主要エネルギーが石炭から石油に移行するにつれて衰退。最盛期には東京特別区の9倍ほどだった人口も、1974年の閉山時には2000人にまで減少し、現在は無人島となっています。

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 老朽化が進んでいるとはいえ、集合住宅や学校などの建物がほとんど当時のまま残されているこの島は、廃墟マニアの間では有名だったそうです。長いあいだ安全上の問題から上陸が制限されていましたが、2009年以降、観光客の上陸と一部施設の見学が許可されるようになりました。テレビや雑誌でもたびたび特集が組まれていますね。
 島全体が廃墟、いわば廃島であるこの軍艦島。そんな島への立ち入りが許可されただけでも驚くべきことですが、さらに凄いのはGoogleストリートビューで立入禁止区域を含む島の全体が公開されていること。

 建物の外壁はひび割れ、剥がれ落ちた壁やガラスの破片などがいたるところに散らばっています。窓枠の形に切り取られた室内の薄暗さと、青空とのコントラストが印象的です。集合住宅らしき建物の屋上には、真っ白な花が咲き乱れていました。これらすべてが無人の島の光景だということを考えると切ないような懐かしいような、はるかな気持ちに襲われてそわそわします。
 軍艦島上陸ツアーも盛況で、毎年多くの人たちが訪れています。なぜ廃墟はこんなにも人々を惹きつけてやまないのでしょうか。その答えを考える前に、軍艦島とその他の廃墟との差異を指摘しておかなければなりません。
こうしてストリートビューで擬似的に上陸と探索が可能になり、部分的とはいえ観光客にも解禁された軍艦島は、明らかに通常の廃墟とは違っているのです。まず、立入が全面的に禁じられた通常の廃墟とは異なり、定められた区域なら自由に見て回ることができます。また、有名になったおかげで、軍艦島を訪れる人々の層は、廃墟を扱った書籍やHP、ブログなどを中心に情報を入手していた廃墟マニアだけでなく、日本全国の一般の人たちにまで拡大しました。さらにこの島を世界遺産にしようとする動きも活発で、軍艦島は「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として、世界遺産暫定リストに加えられています。軍艦島は今や観光地化されているのです。
 受け継ぐべき遺産となった廃墟は、はたして廃墟であると言えるのでしょうか。その定義に立ち返ってみれば、管理する主体を失い、時の流れに身を任せた建物こそが廃墟と呼ばれるものでした。放置され、ただ朽ちていくだけの存在としてあるはずだった廃墟と、景観や環境の保全が義務付けられる世界遺産は異なるものではないでしょうか。

 廃墟というと、死んだ建物であるかのような印象が強いと思います。確かに、用済みになった建築物なのだから、今もなお使われている建物とは違いがあるはずです。しかし、時が止まったようである廃墟にも、自然に朽ちていく中で流れていく時間があるのです。時間の経過とともにあるという点で、廃墟は生きていると言えるのでしょう。解体されるその日まで、廃墟はひっそりと生き続けます。逆に遺産として現在の姿を留めようとしたなら、何らかの形で手を加えようとしたなら、そこに流れている時間も一緒に止められることになります。時間が止められることは死と同じであると言ってもいいかもしれません。
 ここで問題にしているのは軍艦島を世界遺産に登録することの是非ではありません。登録すべきかすべきでないか、ということではなく、廃墟に時間が流れていることが、さきほどの問いにつながるのではないかということを記しておきたいと思います。
 すなわち、なぜ少なからぬ人々が廃墟に魅せられるのか、という問いの答えはここにあると言うことができるはずです。時間の経過が目に見える形で現れるとき、そしてそれらが朽ちていくただ中にあると感じられるとき、私たちは死んだように見える建物の中にも確かに、とてもゆっくりとした時が流れているのを知ります。また、廃墟が隠された場所であり、簡単に立ち入ることができない場所であるからこそ、そこに流れる時間はいっそう独特なものになるのだと思います。滅びゆくものへの憧憬、と一言で片づけることもできますが、滅びゆくものでありながら、同時に生きているものでもある、それが廃墟に人の惹きつけられる所以ではないでしょうか。

参照URL
Wikipedia 端島(長崎県)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%AF%E5%B3%B6_(%E9%95%B7%E5%B4%8E%E7%9C%8C)

(祖父江愛子)