この記事はリッこら(http://reallcolumn.ko-me.com)の過去投稿をサイト移転のため、リバイバル掲載したものです。
内容は掲載当時(2013年)のものであるため若干の違和感があるかもしれません。
ご了承ください。

スガシカオの「19才」を聴いていた頃、私は12才だった。その頃の私にとっては、19才はもちろん15才の先輩ですら大人だなと感じたものだった。幼い頃の1年には、大きな差があった。あの頃に抱いた「先輩は大人」イメージは強烈らしく、私の中には未だに15才の先輩が大人として君臨している。15才なんて幼いと、頭ではわかっているのに。

 私は19才になった。あの頃に思い描いていた19才とは大分違うがそれでも19才だ。「十代最後」という事実が重くのしかかる。十代は特別だ。なかでも15才は特別だ。
「15才になりたい」は19才になった私のメインテーマの一つである。外見も中身も名実ともに15才になりたい。

 15才になるためにはどうしたらいいのか。
 まずはだかる敵は戸籍だ。いくら私が「15才」と言い張ろうとも、戸籍が私を「19才」とする以上、私は「19才」だ。戸籍の年齢は変えられないのか。Googleで検索してみる。「戸籍 年齢変更」というキーワードが予測に現れるあたり、みんなも年齢変えたいらしい。その願いもむなしく、よほどの事情がないと生年月日は変更できないらしい。当然といえば当然で、容易に生年月日が変更できるようでは行政が立ち行かない。教育やら選挙権やら年金やら、年齢で区切られているものは多い。
 戸籍を変えるのは非現実的らしい。仮に変えられたところで、永遠に15才でいるためには、毎年変更手続きをしなければいけない。非常に面倒くさい。
 仕方がないので、15才を名乗れるだけの人間にはなりたい。
 15才だと言えば15才に見られるから、外見はよしとしよう。
問題は中身だ。15才の頃、何を考えて生きていたっけ。当時の日記を読み返す。大半の内容が、今も変わらない「2次元」である。今も昔も2次元に重きを置く生活は変わっていない。そして、ちらほら出てくるのが思春期ネタである。ネタ、と言ってしまうと当時の私に怒られてしまいそうだが、19の私が読むとネタとしか思えないような話なのだ。人間関係に悩んだり、反抗期だったり、些細なことをいつまでも気に病んだり 。過ぎてしまったことは、些細だと思えることが多いがそれが思春期の悩みには顕著であるように思う。19の私なら放っておくだろうことを15の私は延々と悩み続ける。
 これが15才。悲しいかな15の思考が私にはできなくなってしまったらしい。思春期は「子どもから大人になりかける」時期らしい。それなら今の私も十二分に思春期のはずなのに。どこで私は15の思考ができなくなってしまったんだろう。
 15才にこだわるのは、15才が十代の中でも愛おしいからである。12才までは幼すぎる。13、14才は中学二年生というまた特殊な時期だ。嫌いではないが。16才以降は薹が立ってしまっている。15才の、まだ楽しい生き方が完全にはできていなかったところが愛おしい。15才の、「子どもから大人になりかける」時期なんて言いつつ全くの子どもであるところが愛おしい。15才の、まだポテンシャルがあるところが愛おしい。

 十代も残すところ3ヶ月をきった。なにをしよう。15才にはなれないが、17才にはなれる気がする。17才。生きやすいように生き、でもまだ18才にはなれず自由さに欠ける。15才には及ばないものの、絶妙である。だが、戸籍上は19である私は、23時以降も出歩けて、18禁の商品も買えてしまう自由さを得てしまったし、捨てることもできない。
そんな自由さ を得たのに、酒・たばこ・ギャンブルはまだ禁止(パチンコは可)。19才。17才と似ている境遇のはずなのに、決定的にどこか汚い。なるほど17才教(※)が栄えるのも頷ける。19才は実は十代ではないのかもしれない。

 そういえば15の頃は、早く大人になりたかったっけ。

(※)17才教…声優・井上喜久子を教祖とする組合。入信すると「17才」を名乗れる。